薬に対する持論
とにかく薬が嫌いです。
バセドウ病と初めて診断された時は、甲状腺の機能そのものも理解していませんでしたし
喉元にそんな大切な臓器が存在することすら知りませんでした。
一番体調がひどかった時期は、メルカゾールを一日に6錠服薬していました。
知識も経験もないので、専門医の処方するまま、何も疑わずに。
でも、ドクターの持っている患者の累積データより、私に作用する薬の効き目は早く、みるみる薬の飲みすぎで2週間後には低下症の域にまで到達してしまいました。
服薬は医師の処方を守って・・・
と言われますが、本当にそうなの?と疑ってしまいます。
馬鹿正直に飲んで苦しむのはドクターではなく、飲んでいる自分ですからね。
毎週採血をして検査をすれば、ある程度薬の量も正しく決められるかもしれませんが、そんなことが現実的でないのは明らかです。
その後、近所のかかりつけ医に戻ってからも再発した際は薬を処方してもらいましたが
初回とはまた異なる薬の効き方が見られました。
薬に対する抵抗力が自分の体の中に出来るんでしょうかね。
やっぱり体の持つ自然の力が一番だと痛感します。
そして本来の体がもつ神秘的なまでの機能は、「薬」という異物によって正常であることをどんどん妨げられるように思うのです。
病気になるからには、きっとどこかに原因があるはずです。
私の場合は2000年をピークに2006年頃まで(もっと長いかな?)、生きていられたのが不思議なほど精神的につらい思いをしてきたので、2009年には体が悲鳴をあげたのかな?と思っています。
もっと前から相当しんどかったんですが、まったく身動きができなくなるまで医者になんて行かないので、しんどさの原因が甲状腺ホルモンだったなんて気づきませんでした。
やっぱり生きているのが辛いほどの思いをしてしまうと、体は絶対に正常ではいられないと思います。
極論なんですが
世間一般に「気の毒に」「辛いだろうに」と同情してもらえるようなケースでは人は持ちこたえられるように思います。
辛い、苦しい、悲しい、という感情をストレートに表してもいいケースだと思うので。
そうじゃない、私のような人が甲状腺の病気になるんだろうな、と。
そして今も、我慢が大前提の生活をしています。
それでも、薬だけは飲みません。
薬を飲まないという前提がある限り、医者に行く意味もないので、行きません。
自分のことが自分で出来なくなってしまったら生きていたくはありません。
が寿命は自分で決められるものではないので、あまり肉体を酷使せずに ゆるりゆるり と生きておく必要がありそうです。
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